瑞々しい景色

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時々、朝早くウォーキングしている。
ずいぶん涼しくなり、さわやかな季節になった。
そんな時、瑞々しい景色に出会う。

稲穂に光る水滴。

なんだか急に生きている実感。
何年も、何百年、何千年も。
こうやって稲は育ち、命は引き継がれてきた。

つらい時、苦しい時、
死にたくなってしまうこともあるかもしれない。

でも頭が死にたいと考えている時も、
身体はちゃんと生き続けている。

どうか命の瑞々しさを、忘れないで。

心が晴れたら、きっと、
瑞々しい景色がみえてくるから。


この愛すべき日々

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先週末は、夫と対馬の白嶽に登った。
登ったと言っても、最近運動不足のせいか、
実はバテバテで、ヘロヘロだった。

白嶽は神様の山と言われている。
川のせせらぎを聞き、苔むした岩の横を通り、
鳥居を抜け、崖を登ると頂上はすぐそこだ。

その頃には、もやもやした気持ちは浄化され、
すっきりと本来の自分に戻っている気がする。

もう一つ、このところの山登りの楽しみは、
夫が作ってくれるお弁当である。

昆布の佃煮を具に入れた、わかめおにぎり。
塩味の唐揚げに卵焼き。
シンプルなお弁当が、とにかくおいしい!

そんな時、幸せって何なのか改めて考える。
親が子どもに「勉強、勉強」というのは、
良い学校に行き、良いところに就職させるため。
そうしたらお金に困らず、幸せに暮らせると。

私達の社会は、そんな神話を今もどこかで信じている。
本当は、幸せはそんなところにはないことを、
もうどこかで知っているのに。

高いレストランの料理でなくても、
愛する家族と食べるご飯はおいしい。
人とつながって、自分らしく生きる時、
ささやかな日常は、ところどころに
きらめきを放つ愛すべき日々になる。

道に迷って、幸せが見えなくなった人に、
もう一度人生の意味を取り戻して欲しくて、
私はこの仕事を続けている。

と、壮大なことを考えるほど、おいしいお弁当でした!
(ここまで書いたら、また作ってくれないかなぁ)